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事件名がつけられ社会で広く呼称された事件を著名事件と呼びます。たとえば「薬害エイズ訴訟」などです。
ここでは私がかかわった著名事件について話します。

最高裁判所による特別法廷検証

わたしたちは2016年4月27日最高裁判所に出向きました。 最高裁判所はハンセン病患者に対して設置することを許可してきた特別法廷について、みずから検証しました、 その調査結果報告を受けるためです。 分厚い報告書とともに、 […]»続きを読む

菊池事件

私はハンセン病国賠訴訟を担当しました。菊池事件は司法関係者にまでも蔓延ったハンセン病差別がなければ、存在しなかった死刑えん罪事件です。ハンセン病ゆえに彼は追い詰められ、拳銃で撃たれ、自白調書を作られ、非公開で審理され、有 […]»続きを読む

福岡事件

私は1997年ころから8年にかけて、故古川泰龍師から福岡事件の再審請求をしてほしいと申し出を受けました。この時期は大崎再審請求そしてハンセン病国賠訴訟の提訴が重なりました。 古川さんは初対面の時、私に「シュバイツアー寺」 […]»続きを読む

大崎事件

私は高隈事件国賠訴訟の法廷で、その人と初めてお会いしました。冤罪高隈事件で捜査主任をされた警察幹部の尋問を行った日でした。   彼女は傍聴席から私たちの法廷活動を見据えておられました。尋問がすんで支援の方の紹介 […]»続きを読む

薬害肝炎訴訟

私は薬害HIV訴訟をお手伝いさせていただきました。1995年9月いわゆるハンセン病問題にかかわり始めた時期に重なります。1984年にピークを迎えた患者の権利宣言運動のころからご指導いただいた東京の医療問題弁護団の鈴木利廣 […]»続きを読む

「らい予防法」違憲国家賠償訴訟■いわゆるハンセン病国賠訴訟

私はそのときまで「らい病」のことも「らい予防法」のことも知りませんでした。聖書で知った「らい」という言葉と小中学生のころ見たテレビや映画のワンシーンをなぞる程度でしかありませんでした。 1995年の夏、故池永満弁護士から […]»続きを読む

三井三池有明鉱火災訴訟

私はこの火災事故のテレビニュースを千葉県松戸市馬橋にあった研修所の寮で知りました。テレビの向こうでもこっちでも雪がちらつく寒い日曜日でした。坑口から次々にご遺体を乗せた担架が運びだされる。会社の職員で現場を指揮する担当者 […]»続きを読む

高隅事件(鹿児島夫婦殺し事件)

1982年が明けてまだ浅いころ、私はこの事件にめぐりあいました。司法試験に合格した翌年のことです。司法修習が開始する前の寒い時期でした。最高裁判所から自宅に判例集が送ってきました。その判例集でこの最高裁判決を知りました。 […]»続きを読む