最高裁判所による特別法廷検証

わたしたちは2016年4月27日最高裁判所に出向きました。

最高裁判所はハンセン病患者に対して設置することを許可してきた特別法廷について、みずから検証しました、

その調査結果報告を受けるためです。

分厚い報告書とともに、1枚の最高裁判所裁判官会議談話が示されました。

その全文は次のとおりです。

 

最高裁判所裁判官会議談話

「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査報告書」を公表するに当たり,同報告書に示されたとおりハンセン病に罹患された方々への裁判所による違法な扱いがなされたことにつき,ここに反省の思いを表すものです。

長きにわたる開廷場所の指定についての誤った差別的な姿勢は,当事者となられた方々の基本的人権と裁判というものの在り方を揺るがす性格のものでした。国民の基本的人権を擁護するために柱となるべき立場にありながら,このような姿勢に基づく運用を続けたことにつき,司法行政を担う最高裁判所裁判官会議としてその責任を痛感します。これを機に,司法行政に取り組むにあたってのあるべき姿勢を再確認するとともに,今後,有識者委員会からの提言を踏まえ,諸施策を検討して体制づくりに努め,必要な措置を,速やかに,かつ,着実に実施してまいります。

ハンセン病に罹患された患者・元患者の方々はもとより,御家族など関係の方々には,ここに至った時間の長さを含め,心からお詫び申し上げる次第でです。

 

わたしたちは、最高裁判所の報告を受けて、すぐに是正と回復のための措置をとるように要求した。

 

参考に法と民主主義2015年6月号に寄稿したものに一部加筆訂正を加えた文章を掲載します。

 

特別法廷検証―司法による被害および名誉の回復

司法がもたらした被害は司法が主体となって回復を図らなければならない。

 

1 司法の独立と過ちの是正

最高裁判所は昨年(2014年)5月に「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査委員会」(注1)を設置した。この委員会において、いわゆるハンセン病患者に対する特別法廷の設置について、法的妥当性に関する調査を行うこととした。同年12月に関係者からの聞き取りを始め、今年(2015年)3月終了した。そう遠くない時期に調査結果を公表するとともに、最高裁判所裁判官会議に報告するという。

この調査委員会は「開廷場所の指定」という司法行政上の判断に調査対象を絞り、個別の裁判結果に対する検証は先送りしたものと聞く。裁判結果の検証は、憲法が保障する裁判の独立を脅かす恐れがあるという理由からだ。(注2)

司法行政がいたずらに個別事件の結果を検証し、これを論難することがあっては、裁判の独立を侵害することになろう。裁判結果の検証は、必要十分な理由と弊害の少ない手続きによるべきことは当然である。

しかし、このことは、裁判の独立を理由とすれば裁判結果に対して一切の検証を許さず是正の機会を与えないということでは決してない。

裁判には過ちがあってはならない。だがそれは、裁判に過ちがないということではない。裁判の独立は、正義の実現を図る仕組みであっても、正義に優るものではない。誤判・えん罪による被害と正義の回復は、時代をこえて達成されなければならない。

そのために私たちは、十分ではないが再審制度をもっている。これによって誤判・冤罪を検証し、真相究明と再発防止を徹底することができる。私たち法曹は、裁判の過ちをみずからの手で見いだし是正し続ける義務を負う。

問題は、この正義を達成しつつ、裁判の独立を侵さない方法として、どのような制度と技術を準備するかである。

やがてなされる調査委員会の報告を受けて、裁判官会議が前の時代のみずからの過ちに、どのような二の矢三の矢を放つか。私たち法曹がこれにどのように繋がりあるいは射返すのか。

それは与えたすべての被害を償い名誉を回復するに足りるか。正義を回復するに十分か。人類の歴史を適正化するに値するか。

特別法廷で行われた刑事裁判についてどのような是正回復措置を考えるかは、司法にたずさわる私たち法曹の姿勢が問われる課題である。

 

2 特別法廷問題における過ちの本質

「特別法廷は裁判自体を社会から隔離した隔離裁判。菊地事件に至っては、弁護士が同席していない中で死刑判決が下された。」(注3)

これは国立ハンセン病療養所菊池恵楓園自治会長志村康氏の発言である。

最高裁判所は、ハンセン病患者に対する特別法廷を一律に設置した。問題は「開廷場所の指定」の誤りにも、裁判公開のあり方に関する誤りにもとどまるものではない。ハンセン病患者に対して行った一律の特別法廷設置の意味は、ハンセン病差別そのものであった。

「それ(ハンセン病患者のこと)を法廷に立たせるといすに腰掛ける。そういうようなものは特別の専用のものでなければならない。専用のものにしなければ、ほかの裁判を受ける者をそれに腰掛けさせるということによって感染させるというおそれがある。」「衛生上の見地から、無差別に普通の裁判所に出入りを許し、普通の法廷で裁判をやるということは、その後の消毒、・・・・そうすればやはりその(ハンセン病療養所)附近で適当なところに臨時法廷を設けてやるというふうにいたしまして、決して癩患者であるがゆえに(罪を)不問に付するということはないようにいたしたいと考えておるのでございます。」(注4)

これは、いわゆる特別病室(注5)が国会審議に取り上げられた際に、国務大臣が対応策としてハンセン病患者への特別法廷設置を示唆したものである。

ハンセン病療養所はかつて陶片追放と終生隔離の象徴であった。誤った社会認識(注6)によって法と正義の名のもとに、苛酷な人生被害(注7)を強いるという不正義が行われた場所。それがハンセン病療養所である。

裁判所は社会にあって自由と平等と公正の象徴である。社会の中でいわれなく虐げられあるいは社会の外に放擲された人々を救済するはずの場所。それが裁判所である。

ハンセン病患者に対して一律に、社会の中にある裁判所ではなく、社会から隔離された」ハンセン病療養所及びその付属施設内に設置した特別法廷での裁判を強いたことの意味は、ハンセン病患者をして不正義の場である隔離施設に、法をもってなお頑強な鎖で終生縛りつけること。社会の一員としての、個人として尊重されるべき人間としての、基本的人権保障のおおもとである裁判を受ける権利を奪い、公正な司法救済への道を閉ざすものであった。

特別法廷を設置した時代において、最高裁判所を含む裁判所全体が、ハンセン病患者に対する偏見と差別にのみこまれていたことを示す。

公開裁判の例外に当たるか否か、出張法廷許可の可否という議論に終始せず、それぞれの裁判においてハンセン病患者に対する偏見と差別が影響を及ぼすことはなかったかどうか、さらに検証を深めるべきである。

 

3 本件被害の本質と回復

「もういいかい 骨になっても まあだだよ」

ハンセン病療養所邑久光明園で一生を終えた全盲の詩人中山秋夫氏の川柳である。

ハンセン病療養所に入所させられた者は終生隔離。入所のとき偽名と新しい印を与えられる。解剖承諾書に署名をさせられる。そうやって死ぬまでの隔離を覚悟させられた。死んでも社会の火葬場で焼かれることはない。弔い終わって骨になっても、園の納骨堂に納められ、社会に還ることを許されなかった。

「患者隔離はたとえ数年であっても、人として当然持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性を大きく損ない、人権の制限は人としての社会生活全般にわたる。それは施設内にとどまらず、患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在であり、ことごとく隔離しなければならないという誤った社会認識、偏見差別を作出・助長・持続させる。」(注8)

これは「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟判決の一文である。

幼い頃に親と切り離され、幼子と生木をはぐような離別を強いた。コンクリート、杉、柊の塀、茨を植えた溝あるいは海と絶壁によって隔絶した、地図にない町ハンセン病療養所での一生。子を産み育てることは許されず断種・堕胎を強いられた。患者は自らの手で食物を育て、薪を集め、仲間を介護し、看取り、火葬し、弔い、納骨した。病によって痛む手足でこれらの労働を担い重度の障害を負った。教育も選挙も祝い事も弔いもすべて隔離施設の中。そのうえ裁判までがそうであった。

人間を社会から排除し、追放し、隔離することによる被害に重ね、社会の偏見・差別が与える被害には、個別被害と集団被害とがある。

個別被害は、人生そのものを奪うという人生被害であり、名誉を含む人間の尊厳そのものを否定するもの。集団被害とは、個別被害が偏見・差別の対象となった集団全体に一様に及ぼすことをいう。

いずれにも、司法が健全に機能しなかっただけではなく、さらに法と裁判所によるお墨付きまでも与えることによって、深め拡げた被害が含まれる。

国は患者隔離によって与えた被害を未だに回復していないことをさして「ハンセン病問題」と定義し、残した隔離被害の回復を約束した。(注9)

 

4 ハンセン病差別裁判としての菊地事件

裁判に予断・偏見による差別があってはいけない。このルールは時代をこえて要請される。裁判は「正しい法」とともに「健全な社会常識」を物指とする。「誤った法」と「誤った社会認識」を「正しい法」であり「健全な社会常識」としてなした裁判があるのなら、司法はみずからこれを是正しなければならない。

「原判決が所論(上告趣意書第六点)のような予断偏見を有し、良心に反して裁判をしたと認む資料は存在しないのであるから、所論の違憲の主張はその前提を欠き適法な上告理由に当たらない。」

そう理由を示して菊地事件の最高裁判所は上告を棄却した。少し長文となるが上告趣意を抜粋しよう。

「被告人は逮捕されて直ちに隈府の警察署に連れてゆかれ、司法警察員から取り調べを受けたとのことであるが、信岡医師の証言及び診断書によって明らかな様に、被告人は逮捕の際に右前膊部貫通銃創並尺骨に複雑骨折の傷害を受けており、その痛苦もあったこと乍ら、被告人が癩患者であるということによって、被告人に近寄ることは、癩病に感染するかもしれぬという恐怖感によって、その取調状況も右の先入観によって殆んど被告人の供述をきかぬまゝに自白を求めたことが明らかである。このような先入観はいわば裁判所を含めての一般社会の人間の癩病及び癩病患者に対する認識の程度を物語るものであり、公正に判断すべき裁判所が斯る点を看過したことは許されない。又、原審裁判官の癩病に対する恐怖の相当大なるものがあり、被告人及び原審弁護人の言によっても原審裁判官は、常に癩病の感染の恐怖を抱いていたということが示されている。例えば、被告人が述べたところによると、証拠物の展示にしても、その証拠物を被告人が直接にそれを手に取ってその証拠の証明力を攻撃しようとしても、裁判官はその展示した証拠物が、一旦被告人の手中に渡ることによって、被告人から感染の機会を与えられるといういわれのない恐怖によって、被告人にその機会を与えようとしなかったことなどがある。」

このように、裁判におけるハンセン病患者差別を指弾していた。

最高裁判所は菊地事件において「憲法の番人」という役割を果たしただろうか。そして今はどうか。弁護士、弁護士会、検察官、検察庁、法務省、裁判官、裁判所、研究者を含む法曹は最高裁判所にその役割を果たさせているか。

私たちはこれからもそう問い続けることができる。

 

5 司法みずから主体となって被害回復を図ることの意味

ある制度が憲法違反であるとしたら、それを前提になされた国家行為のすべては取り消され、是正されなければならない。裁判所はあらゆる予断・偏見と対峙し、裁判にその過ちがあれば正し、これを国民に丁寧に説明し、謝罪するとともに、強いた人生被害と蹂躙した名誉・尊厳のすべてを、みずから主体となって回復させるべきである。

裁判を是正するシステムとして再審制度がある。世界の潮流は、裁判には誤りがあることを前提として、無辜の救済、誤った裁判の是正へと大きく舵をきった。

イギリスは1997年、政府から独立した機関による誤判救済制度をつくった。ドイツは1998年、欧州人権条約に合わせて再審要件を緩和し、違憲とした法令解釈による有罪判決の見直しとナチ再審特例法などによる救済制度を講じた。フランスは2014年、誤判是正を促進するため再審法の改正をした。アメリカは州によって異なるが、死刑廃止州は増加し、違憲法令等による有罪判決を見直す州が現れた。韓国は、憲法裁判所によって違憲であるとした法制度による有罪判決について再審を認める。(注10)

そのほか多くの国が誤判是正の拡大と死刑廃止に動いている。

冤罪による死刑を忌避してのことだ。裁判は誤るもの、だが、是正することによって正当性を担保できる。としても死刑を執行してしまってはもう取り返しがつかない。取り返しのつかない死刑は廃止するしかない。そう考えて誤判是正と死刑廃止へと向かっている。

その時々に司法が示す「正義」は、人類の歴史においては常に仮説であるということを忘れてはならない。だからある時代に示された司法的正義としての裁判は、時代をこえて検証され続けなければならない。

そのためのシステムがなければシステムをつくる。技術や準備が不足すればそれを培う。ないからできない。できないから放置してよい問題ではない。

世界は、裁判について宣告の正しさを求めるとともに是正を徹底することへ力を注ぐ。

私たちの司法もこの流れに続こう。

司法はハンセン病問題において被害及び名誉回復を図る主体となることによって、はじめて、みずからの回復を果たすことができると思う。

 

注1 第187回国会衆議院法務委員会での議員質問に、最高裁判所長官代理者(最高裁判所事務総局総務局長)が次のように答弁している。「今般、全国ハンセン病療養所入所者協議会ほか二団体からの要請を受けたことを契機といたしまして、昭和二十三年から昭和四十七年までの間、ハンセン病患者を当事者等とする事件につきまして、裁判所外の場所を開廷場所として指定した司法行政上の判断についての調査を開始したところでございます。」(会議録第9号―2014年11月7日開催分)

注2 同上「一方、個別の事件につきまして、開廷場所においてどのような審理が行われていたかということにつきましては、それぞれの事件を担当した裁判体の訴訟指揮あるいは法廷警察権にかかわる問題でございます。こういった問題につきましては、個々の訴訟手続の中でその当否を判断されるべき問題でありまして、事後的ではあれ、司法行政の立場からこういった問題について調査するのは裁判の独立に抵触するおそれが高く、これはできないというふうに考えております。」(同)

注3 熊日新聞2015年1月11日版が同氏の談話として報じた。

注4、5 第1回国会衆議院厚生委員会第28号-1947年11月6日及び同第30号-同13日。特別病室とはハンセン病療養所栗生楽泉園に設置された重監房、檻の中の檻である。全国のハンセン病患者のうち懲戒対象者を裁判を受けさせることなく投獄し、1938年から1947年までの9年間に、20数名を獄死させた。

注6、7、8 熊本地方裁判所2001年5月11日判決(判例時報1748号30頁)。この裁判は1998年7月31日に提訴し原告が全面勝訴した。判決は「らい予防法」は憲法に違反すること。厚生大臣(現厚生労働大臣)は遅くとも1960年には患者隔離政策を廃止しなければならなかったしすることができた。国会議員は遅くとも1965年には「らい予防法」を廃止しなければならなかったしすることができた。法廃止に至るまでの歴代の厚生大臣およびすべての国会議員の不作為は、違法かつ有責であって、すべての被害者に対する不法行為が成立するとして、国に賠償義務を認めた。この判決は、国の患者隔離による被害を、人間が本来もっているありとあらゆる権利や人生選択の機会をことごとく奪った「人生被害」とし、差別・偏見を「誤った社会認識」と表現した。

注9 ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(通称:ハンセン病問題基本法)で「ハンセン病問題」を定義している。国は上記判決に対して控訴できなかった。議員立法としては異例の補償金給付法であるハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(同ハンセン病補償法)を制定した。第三者機関による検証を行った。補償法の適用範囲を敗戦前統治下(韓国、台湾、南洋諸島)へと拡大させた。そのうえでハンセン病基本法を制定し、毎年6月22日をらい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日と定め、毎年、内閣総理大臣、厚生労働大臣、衆参両議長らが国民を代表して、被害者への謝罪と名誉回復について誓いをたてている。

注10 海外の刑事再審法制については、九州再審弁護団連絡会において、協力研究者の報告を受け、現在整理中である。

 

八尋光秀(やひろみつひで)1954年福岡県生まれ。西南学院大学卒。福岡県弁護士会所属弁護士。主要著書:「障害は心にはないよ 社会にあるんだ」(解放出版社・2007年)、「転落自白」(日本評論社・2012年)等

 

 

 


関連記事