「らい予防法」違憲国家賠償訴訟■いわゆるハンセン病国賠訴訟

私はそのときまで「らい病」のことも「らい予防法」のことも知りませんでした。聖書で知った「らい」という言葉と小中学生のころ見たテレビや映画のワンシーンをなぞる程度でしかありませんでした。

1995年の夏、故池永満弁護士から声をかけられました。私は弁護士になりたての時から、池永満弁護士に医療過誤訴訟や患者の権利運動の手ほどきを受けていました。その池永弁護士が「この手紙読んでみる。」そう言って1通の手紙を渡してくれました。それは島比呂志さんが書かれたものでした。患者の権利法運動を進める私たちにとって、痛烈な批判とともに崇高なエールを贈る手紙でした。

「私は1昨年、『らい予防法と患者の人権』という本を出版し、医の良心、法の良心に訴えた。医学界では、昨年10月の所長連盟、今年4月の日本らい学会と、いずれも過去の強制隔離を容認してきたことを反省し、らい予防法の廃止と新法制定を求める『見解』を発表して、その良心のあるところを見せてくれたが、法曹界からはいまだに何の反応もない。・・・

らい予防法が人権無視、存在理由のない法律だといわれ出して、どれだけの歳月を空費してきたことだろう。その間、患者がどれほどの被害を受けていたことか、それは無実の死刑囚にも匹敵する。・・・

そこで、つくる会(「患者の権利法をつくる会」のこと)に、二つのことを提案したい。一つは、まず法曹界のトップを切って、らい予防法廃止を支持する、『見解』あるいは『声明』を発表してもらいたい。もう一つは、入所者の保障について、法律の専門家として、具体的に考えて欲しい。」

このような内容の手紙を受けて、私たちは九州弁護士会連合会に問題提起をしました。九州弁護士会連合会は池永弁護士を筆頭にチームを組んで国立ハンセン病療養所の九州5園について、隔離被害にあわれている患者さんへの聞き取りとアンケートを実施しました。その調査と並行して、この問題の歴史性と私たちの国における患者隔離政策と患者への差別偏見の成り立ちなどについて分析を行いました。そのうえで九州弁護士会連合会「らい予防法・同廃止に関する私たちの見解と提案」(1996年3月19日)にまとめました。

その後も私たちは九州弁護士会連合会として、九州各園を廻り、入所者の方々への巡回無料法律相談会を定期的に実施しました。70歳をこえられた入所者の方々の「弁護士さんが園に来るのは初めて。見るのも初めて、話すのも初めて。」笑顔で迎えられる言葉に、心がつぶれそうでした。この問題の根本に位置しなければならないはずの私たち法曹は、この方々の最も遠いところで、この方々にそっぽを向いて仕事をしてきた。これから私たちは、ここに立って、ここから始めなければならないと思いました。

それでは事件を見ていきましょう。

この事件はハンセン病に罹患した患者は伝染のおそれがあるとして、無期限で隔離してきた「らい予防法」とその患者隔離政策が、日本国憲法に違反するとして提起した国家賠償訴訟です。弁護団長に徳田靖之弁護士、弁護団副代表に板井優弁護士、浦田秀徳弁護士、弁護団事務局長に国宗直子弁護士。私は弁護団共同代表を務めさせていただきました。

1998年7月31日に熊本地方裁判所に提訴し、2001年5月11日に判決。原告が全面的に勝訴しました。判決は「らい予防法」は日本国憲法に違反すること、厚生大臣(現厚生労働大臣)は遅くとも1960年には患者隔離政策を廃止しなければならなかった。国会議員は遅くとも1965年には「らい予防法」を廃止しなければならなかった。これをしなかった1960年以降法廃止に至る1996年4月までの歴代の厚生大臣、1965年以降1996年4月までのすべての国会議員の不作為は、違法かつ有責であって、すべての患者に対する不法行為が成立するとして、国に賠償義務を認めました。国はすべての患者に対して、隔離と差別・偏見(判決は差別・偏見のことを「誤った社会認識」とも表現しました。)によって取り返すことのできない極めて深刻な人生被害(人間が本来もっている人生におけるありとあらゆる権利や選択の機会をことごとく奪ったことによる被害のことを人生被害と表現しました。)を与えたと認定しました(判例時報1748号30ページ)。

日本の裁判史上において、国の法律と政策の誤りをこれほど厳しく断罪した判決はほかにありません。

国ははじめ事実認定や立法不作為に対する違憲判断には問題があるとして控訴する方針でした。しかし控訴するに足る正義を見出すことができません。控訴期間ぎりぎりの5月25日小泉純一郎内閣総理大臣は総理大臣談話を発表して控訴を断念し、判決を確定させました。同年6月7日に衆議院で翌8日に参議院で、謝罪のための国会決議を採択しました。同月22日には入所経験のある患者全員に対して判決と同水準の補償を行う「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を議員立法によって制定し、施行しました。

内閣総理大臣、厚生労働大臣、衆議院、参議院によってそれぞれの謝罪文書が作成され、新聞50紙に謝罪広告がなされました。患者、元患者の方々への謝罪と早期の名誉回復を図るためでした。

その後、韓国ソロクト更生園、台湾楽生院を含む外国に設置したハンセン病療養所での隔離患者の方々へも補償を行うこととなりました。

2008年6月、この問題の全面的な解決を約束した、ハンセン病問題基本法(ハンセン病問題の解決の促進に関する法律)を制定しました。

この問題の一連の解決は、司法判断を梃子にして、与野党がスクラムを組んで統治全体を動かしました。「人権課題の解決は党派や立場を超えて」を合言葉にしました。司法が国の過ちを認め、政治がこれを受け止めて、国をあるべき姿に変えたと評価できます。

この変革の手法は薬害肝炎訴訟でもとられました。

「医療を給付するためにやむを得ず、強制的に患者を施設に隔離し収容する。」一見にとどまるならば正しいように映ります。日本国憲法のもとで「らい予防法」とともにつくられたのが「精神衛生法」。これらをまねてつくられたのが「エイズ予防法」でした。いずれも「患者のため」の強制隔離を標榜しました。国が特定の病気について特別な施設に強制的な入所を強いる。このことは「危ない、恐ろしい」というレッテルを、当の病気に貼り付けます。その患者が地域で平穏に生活する場を奪います。社会の人にも、医療関係者にも、患者本人にも、そう信じこませる力をもっています。患者隔離の法律と政策の持続は、そのことを確固たる社会通念へと押し上げてしまいます。

ほんとうは「社会不安をうやむやにするために、強制的に患者を施設に隔離し、収容する。」「社会不安の矛先をかわすための強制隔離」です。たとえば感染力の強い感染症があったとします。強制隔離制度は有効でしょうか。人は強制隔離されることによって、人生において回復しがたい負因を担わせられる。そう考えてしまうでしょう。人は誰も強制隔離の対象となる病気だと認めなくなるでしょう。その結果、感染力が強く重い病気であればあるほど、人は医療によりつこうとしません。これでは感染症の蔓延を食い止めることはできません。つまり「強制隔離」を手法とする医療システムは、その医療を必要とする患者を診断や治療機会から遠ざけるという致命的な欠陥を構造的にもっています。

診断と治療の開始には、その医療環境にあることが安心であり安全であり最大利益であると患者にとって信じられることが不可欠です。このことを伝えることが医療システムを考えるうえでまず第1に必要です。治療が必要であればあるほど、そのことの大切さが増します。治療を受けて社会生活を回復する。このことによって害を受けることがないと保障する。当の病気で絶望的な状況にあるその人が信じるに足る医療供給システムが求められます。

精神科の医療についてはどうでしょう。精神病という烙印は人生にとって致命的な打撃のように受け止められています。入院するときに入院期間を示さない。退院の話なんてちっとも出て来ない。鍵のかかる病棟で薬を飲まされて24時間ぼーっとしているだけ。もう何年も入院を強いられて退院のめどはない。10代の終わりに入院してもう10年が過ぎた。入院している間に家庭にも地域にも私の居場所はなくなった。そんな声が聞こえてきます。

精神科の疾患は内科と同じくらいに多様です。その病期や病勢もそれぞれです。病気の全体を精神科入院施設で見ようとすると、それだけで患者の人生を丸ごと医療づけにしてしまいます。「精神病患者は怖い、危ない、社会の役に立たない。」そんなフレーズがいろんなところで合唱されています。精神症状の初めの時、多くはそれを精神症状だと認めません。家族もまた認めたくないのです。ですから診断にも治療にも近づこうとしません。家族とともにもうどうしようもない状態になって初めて精神科入院施設の門をたたきます。

精神科医療システムがどこまでも地域の中にあって診断と治療とを提供するものであれば、医療を受けることによって患者は社会的な打撃を受けることがありません。このことを保障する精神科医療システムを構想することによって、ほんとうの「患者のため」の医療がはじまると思います。患者は精神症状初発の早い段階で診断と治療を受けられます。そのうえ地域サポートを選びながら病とともに地域生活を営み回復へ向かうことができます。

患者隔離を手段とした精神科医療システムはこれまで患者の人生被害を当然のこととしてきました。それは患者を診断と治療から遠ざけ、極まって入院した精神科施設に数年から数十年にもわたって隔離されるという事態を招いてきました。その人の人生だけではなくその家族の人生もまた歪曲させるものでした。

統治経済的な効率の面でも患者隔離を手段とした医療システムは看過できない欠陥をもっています。結局のところ患者の人生を丸ごと補償する水膨れ医療になるからです。そのうえ注ぎ込んだコストに見合う生産性のある見返りは期待できません。どこまでも地域の中にあって診断と治療を提供する精神科医療システムであれば、水膨れ医療を回避できるだけではなく、回復した人々によるまたその家族による社会への生産的な営みが随時もたらされるでしょう。回復者とその家族は、今病気の始まりをむかえて途方に暮れ絶望の淵に立つ人たちにとって、確かな道を照らすともしびとなります。これは社会にとってかけがえのない宝のひとつです。

ハンセン病訴訟を教訓として、隔離医療システムの欠陥を直視して、医療改革をやりませんか。


関連記事