菊池事件

私はハンセン病国賠訴訟を担当しました。菊池事件は司法関係者にまでも蔓延ったハンセン病差別がなければ、存在しなかった死刑えん罪事件です。ハンセン病ゆえに彼は追い詰められ、拳銃で撃たれ、自白調書を作られ、非公開で審理され、有効な弁護をうけられず、粗雑な証拠評価と事実認定によって死刑を強いられました。

刑事訴訟法は再審請求人として当の本人を挙げています。しかし死刑執行後再審にあっては、当の本人は存在しません。生前どれほど雪冤を叫び、再審を求めていたとしても、刑の執行によってその口は閉ざされてしまいます。誰かが死刑執行後再審を当の本人に代わって請求できるのでなければ法の趣旨は生かされません。この点では死刑執行後再審である福岡事件や飯塚事件も同じです。

このたび検察官にこの菊池事件の再審請求をするように要請しました。検察官は被疑者を取調べ起訴し有罪とし刑の執行指揮を行うとともに、あらゆる事件について再審請求をなすべき職責を担っています。検察官は国の刑事司法における正義を、捜査、起訴、裁判、刑の執行、誤判是正の全般にわたって、監督し維持する権限と義務を負託されています。

検察官には菊池事件に全力を傾注しその任を果たすべき時がめぐって来ました。その職責の重大さに相応しい、事件検証がなされるように注目して行きたいと思います。

それでは事件を見てみましょう。

この事件は1952年7月6日熊本県菊池で発生した殺人事件にかかわる冤罪事件です。この事件の冤罪被害者Fさんは、1951年ハンセン病であるとされてハンセン病療養所への入所を強いられます。第2次無らい県運動の真っ只中で当時のハンセン病療養所は終生絶対隔離の収容所でした。町中からハンセン病者を炙りだし狩り込んでは一生閉じ込めておく場でした。Fさんは母と幼い兄弟の生活を守るため家族の柱として働いていました。ハンセン病を否定しハンセン病療養所への入所を拒み続けました。

その8月いわゆるダイナマイト事件が発生します。この事件で逮捕されたFさんは否認しますが、翌52年6月療養所内の特別法廷で懲役10年の有罪判決を受けます。控訴後にFさんは、受け入れられない刑事裁判とハンセン病療養所への隔離に絶望して死を思い逃走します。その逃走中に殺人事件が発生し犯人にされてしまいました。1953年9月29日第1審で死刑判決、1954年12月13日控訴棄却、1957年8月23日上告は棄却され、死刑判決が確定しました。

逮捕・取調時における被疑者の権利を剥奪し、隔離施設内での特設法廷によって裁判公開の原則を踏みにじりました。刑事裁判における実質的な当事者権・弁護権の保障はなく、刑事裁判の鉄則である厳格な証拠主義にも違反しました。

一貫して罪を争ったにもかかわらず第1審死刑判決書はたったの6枚。有罪証拠の標目を並べるだけで判断過程を示していません。その控訴審判決はたったの2枚。死刑判断の理由はわずか3行です。死刑判決を確定させた上告審判決は3枚で上告理由に対して「原判決が所論のごとく偏見と予断により事実を認定したと認むべき資料も存しない」としました。

しかし明らかにこの刑事裁判は、手続きにおいても証拠評価においても、ハンセン病への「偏見と予断」を「健全な社会常識」であると誤解してなされたものです。当時の司法関係者はそれに気づかなかったのです。

この事件の問題点が世に知られるところとなり、裁判のやり直しと死刑執行を阻止するための運動が大きくなります。数多くの人々の支援によって第1次再審請求から第3次再審請求までの手続きがとられます。

1962年9月13日に第3次再審請求は棄却されます。この棄却2日前11日に死刑執行命令は許諾されていました。そのうえで棄却翌日14日13時7分死刑は執行されてしまいました。再審請求を棄却するところは裁判所。死刑執行命令の許諾は法務省・法務大臣。その段取りの良さにあらぬ疑いまでかけてしまいそうです。

いわゆるハンセン病国賠訴訟判決は、私たちの国には法律と政策に主導されたハンセン病差別が蔓延し、関連する法律や法的手続きがことごとく差別と偏見に満ち満ちていことを確認しました。この菊池事件の冤罪被害者もハンセン病に罹患しているとして捜査及び公判さらには死刑執行まで差別的な刑事司法を強いられました。

ハンセン病国賠訴訟判決はハンセン病に対する差別偏見を「誤った社会認識」と表現します。それは個々人の偏見差別観をこえて、社会常識であり、社会通念であり、社会道徳であり、さらに言えば、宗教観であり、良心であり、美意識もまた誤らせていた。そのうえでハンセン病に関する法律も政策もその根本が間違っていたというのです。

裁判において判断のものさしとなるのは「健全な社会常識」です。社会常識には「健全」なものと「不健全」なものとが存在するということを前提としています。そのこと自体は正しいのですが、はたして裁判のものさしとして使われた当時の「社会常識」が健全であったかというとどうでしょう。確かに当時は「健全」であると信じられていました。しかし信じられていたことが正しいとはいえません。私たちはハンセン病をめぐる法制度を明らかに誤っていました。それは「社会常識」をも包摂して間違っていたことを示しています。
ハンセン病差別に由来する「不健全な社会常識」によって死刑執行されたえん罪について、私たちがどのようにして雪冤し、これを刑事司法改革にどう結び付けるのか。これがこの事件の本質だと思います。

死刑制度の適否は刑事裁判の実際と相関して考える必要があります。誰もえん罪死刑を良しとする人はいないでしょう。しかし冷静に考えてみると、刑事判決がどこまで行っても仮説である以上、死刑制度はえん罪死刑を容認する制度と考えるしかありません。私たちの社会はえん罪死刑を維持しなければ社会治安をほんとうに保てないのでしょうか。人口比での殺人の数は世界有数に少ない国です。ところが私たちの社会より人口比で多くの殺人件数率をもつ国々。その3分の2を超える国が法律上・事実上死刑をすでに廃止しています。死刑を廃止したからといって、犯罪率が増加したという統計はありません。逆に減少したという報告は少なくありません。私たちの社会で死刑制度を継続する正当性はあるのでしょうか。被害感情を優先するということかもしれませんが、はたしてこの被害感情というものは社会制度を設計するうえでどのような正当性をもたせることができるのでしょうか。被害者が死刑を望まなければ死刑にしないなどという制度設計が困難なように、刑罰の枠組みを形造る直接的な要因として位置づけることは困難です。

死刑を求刑し、宣告し、執行を命令するのは、検察官であり、裁判官であり、法務省・法務大臣です。でもそれをさせているのは私たちです。私たちは施行された死刑に責任をもたなければなりませんし、えん罪死刑であればなおさらです。
犯罪被害者の悲しみと叫びを聞けば、死刑もやむなしと思われるかもしれません。他面あなたやあなたの家族がえん罪で死刑を宣告されたときでも、あなたはその死刑を受け入れることができますか。


関連記事