相方との別れ

平成28年9月16日14時07分、当事務所を開設以来ずっと一緒にやってきた、橋本千尋弁護士は肺がんのために逝去いたしました。

以下では千尋君と呼ばせていただきます。

 

千尋君とは西南学院中学の同級生です。

1982年4月に福岡地裁で開催された司法修習開所式で再会しました。

「なんばしようとや、こげんとこで、おまえ」と私。

「おまえのほうたい、なんばしいきたとや」と千尋君。

そんなこんなで84年に事務所を開きました。

「魂のうちふるえるごたる仕事のしたかね」と言いながら。

それから33年間ずっと共同してきました。

 

千尋君は今年4月初旬に体調を崩しました。

肺がんはすでにステージⅣの最終期でした。

千尋君は病を知って仕事の仕舞を優先することを決めました。

またそのことを糧として命をしぼりきるように生きました。

おかげさまですべての仕事に納まりをつけることができました。

 

千尋君とは、未決・既決被拘禁者の人権侵害国賠訴訟(これは未決被拘禁者が長期間懲罰を受けたことや既決被拘禁者の図書閲覧が制限されたことによる人権被害についてした国家賠償請求訴訟です。詳しくは、最高裁判所平成5年9月10日判決判例時報1472号p66に上告理由書が掲載されています。)や指紋押捺拒否および再入国不許可取消訴訟(これは在日韓国朝鮮人への指紋押捺強制制度は違憲、違法であるとする訴訟及び指紋押捺を拒否した協定永住権者に対して、再入国不許可処分をしたことが、違憲、違法であるとした訴訟です。福岡高裁で勝訴しました。最高裁では敗れましたが、国には新たに「永住資格」という在留資格の枠組を作らせました。)などの事件を一緒にやりました。

そのほか千尋君は、冤罪死刑再審請求(この事件は免田町主婦殺害事件で日弁連再審支援事件となりました。)、じん肺国賠訴訟(これは最高裁で完全勝訴を果たしました。)、生活保護変更決定処分取消請求等訴訟(これはいわゆる中嶋訴訟と言って、生活保護受給者が子どもの高校進学のため学資保険の満期金を福祉事務所が収入とみなし、生活保護費を減額した処分が違法であるとして、減額処分の取消等を求めた裁判で、最高裁で完全勝訴しました。)などを手がけました。

 

千尋君は弁護士会の会務にも尽力しました。

平成6年度の福岡県弁護士会の業務事務局長、平成16年度の副会長・福岡部会長、平成18年から平成22年まで法テラス福岡の副所長、平成25年度の福岡県弁護士会会長、平成27年4月からの新会館取得推進本部本部長代行等々、貢献は多大であったと思います。

とくに、会長時代、複数の会員の不祥事によって損なわれた弁護士会及び弁護士への信頼を回復するために、身を削って奮闘いたしました。

他方で、ながく闘病生活をしいられていた奥さんを昨年亡くし、心労に心痛を重ねていたものと思います。

 

もっともっと仕事をしたかったと思います。

 

千尋君の人となりに思いをいたし、その足跡をともに偲んでいただければ至幸です。


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