憲法記念日に寄せて その1

わたしに法曹への道を決意させたいちばんのこと。それは日本国憲法です。憲法を読みその言葉にあこがれて弁護士になりました。

 

ですから今あらためて憲法のことを話す。そのことにはおもいいれだけではなくかしこまりかたくなさはじらいの感覚までもってしまいます。初恋のひとのことを語るのに似ているかもしれませんね。ですからうまくしゃべれるかどうか。

 

どこの憲法もその国の歴史だけではなくひろく人類の歴史を記録たものとなっています。人類の歴史の成果をどこの国よりも多く深く刻んだ憲法。それが日本国憲法です。この憲法は日本のひとびとのためだけにではなく人類すべてにとってその歩みを適正化するために約束し宣言した言葉。そう思います。

 

それは人類がともにめざす道しるべであり日本にすむわたしたちが人類に率先して実践する目標です。

 

わたしはこの憲法のなかにきらめく言葉をたくさんみつけます。はるかかなたに輝いてみえるものもあれば手の届きそうなくらいに感じるものもあります。

 

わたしはこの憲法がえがく輝かしくも誉たかい人間になりたいと願っています。

 

憲法の言葉のいくつかをひろいあげてみましょう。

 

We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace,free from fear and want.(私たちは世界のすべて人たちが恐怖と困窮とを強いられることなく平和のうちに生きる権利をもつことを認めます。)

 

これは憲法前文2段目の最終文です。いわゆる平和的生存権とよばれています。ここでの主語はWe(私たち)、the Japanese people(日本国民)です。ですからこの誓約は、私たちが世界中のあらゆる人に対して平和的生存権を権利として認めるよと宣言したことを意味します。

 

なぜ英文から話をはじめたのか。日本国憲法は日本の法律だから日本語だけで考えればいいと。そう疑問に思われるかもしれません。

 

憲法というのは国の基本法です。国の理念であり根本を示しています。憲法はたしかに内にあっては国のかたちに枠をはめて法律や制度をつくる役割を果たします。でも外に向けては国の本質を世界に公式に宣言したものとなります。

 

ですから憲法はわたしたちが世界中の人々に対して公約として宣言したものです。それは国際公用語である英語をつかって宣言されました。外国の人々がわたしたちの公約をどのように受けとめているのか。それを感じとるために英文の憲法から考えてみることもわるくないかなと思いました。

 

前文もそうですが第9条第1項も主語は日本国民です。日本国ではありません。このことには意味があります。それは日本の国の本質はわたしたち日本国民であって日本政府やこれを含む国の機関ではない。政府もその他の機関もわたしたち国民ひとり一人の手足であってわたしたち人間こそが日本の振る舞いにすべての責任をもつ主役であるという考えです。

このことについては前文1段目の第2文で次のように言っています。

 

Government is a sacred trust of the people,the authority for which is derived from the people,the powers of which are exercised by the representatives of the people,and the benefits of which are enjoyed by the people.(国や政府というものは侵されることのない国民の信託によって成り立ちその権威は国民に由来しその権力は代表者によって行使されその福利は国民が享受する。)

 

これは国民主権主義を表明したものです。主権は国王や天皇にも国の機関にもないし、正当に選挙された代表者にもない。主権はいついかなるときもわたしたち国民一人ひとりにあるとしました。この前の文章の文末は次のとおりです。

 

do,proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.(主権が国民の側にあることを宣言しこの憲法をとくに堅固なものとして制定しました。)

 

国民こそが国の主役であるというルールは国や政府によって侵すことのできないことであって憲法はとくに厳しくこのことを定めたと言っています。

 

ここで冒頭の平和的生存権の意味にもどります。憲法が世界に対して公式に約束した平和的生存権。私たちは世界の人々に次のようなことを権利として認めたことになります。

 

We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace,free from fear and want.(私たちは世界のすべて人たちが恐怖と困窮とを強いられることなく平和のうちに生きる権利を有することを認めます。)

 

この言葉は前後の文脈からして

 

日本国民は世界のあらゆる人々に対して誰ひとり戦争の恐怖と困窮に晒すとなくすべからく平和に生活できるよう日本の政府や代表者を責任もってコントロールすることを約束します。そういう意味になります。

 

わたしたちは守れていますでしょうか。これから守りつづけられるでしょうか。わたしは心からこの憲法の言葉を守りたいと思います。

 

憲法の理念を現実の裁判規範とするには場合によっては高いハードルをいくつもこえる必要があります。世界中の人々と力を合わせて理念的であるいは技術的な国際間の法と制度を幾重にも組まなければならないでしょう。

 

これまでそのための具体的なデザインを工夫し進めてこなかった。このことが国内において憲法を脅威にさらしつづけることになりました。これからは世界のひとびとの信頼にかかわることにもなるでしょう。

 

今回は平和的生存権と国民主権主義について思うところを述べました。憲法の輝く理念はほかにもたくさんあります。そのいくつかをつぎにまた取りあげたいと思います。

 


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