憲法記念日―悟空を縛る金の環

5月3日は憲法記念日です。日本国憲法が公布されたのが1946年11月3日で翌47年5月3日に施行。この施行の日を憲法記念日にあてています。憲法は国の理想と目的を示しています。国の名誉にかけてその実現を図るために国のあるべき骨格と向かうべき道を定めています。

 

主権が国民にあることを宣言し正当に選挙された国民の代表者を通じて行動すること。その代表者によってふたたび戦争の惨禍が繰り返されないようにすること。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して恒久の平和を念願すること。全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認すること。いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない責務を負うこと。これらはいずれも人類及び政治道徳における普遍の原理であること。日本国憲法は前文で国の理念をこのように表現しています。

 

毎年この時期には護憲派と改憲派がそれぞれ集会を開きそれぞれの主張をアピールします。私は40年ほど前はじめて日本国憲法にふれました。それ以来この憲法が好きになりました。その思想や言葉は新鮮でなおかつ心の奥にあるものともつながりました。弁護士となってから憲法集会を毎年重ねてその素晴らしさを伝えています。

 

今年の改憲派の目玉は憲法改正条項の緩和です。日本国憲法は硬性憲法といわれています。改正条項が厳格で変更することを容易に許さない。衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成をもって国会が国民に承認を求める。この提案に対して国民はその過半数の賛成をもって承認することができる。そう定めています。このような定めは日本国憲法に特有のもではありません。憲法はどこの国でもその国の根本にかかわるものです。ですから多くは硬性憲法です。憲法は国民に代わって為政者の暴走を縛るものだ。その時々の為政者の考えと単純な多数決によって変更することを許さない。そういう意味がそこに込められています。

 

憲法は人類普遍の原理に基づく理想や目的に反するものは排除するとしています。それがたとえ「憲法」という姿をとっても容認しないと明記しています。つまり憲法は自身が定める理想と目的に適う改正しか予定していません。これに反する方向での変更は許さないという態度です。国の根本を定めるのが憲法ですから当然のことでしょう。

 

時の為政者はとても秀でた才能を持っています。弁舌の能力だけではありません。人々に夢を抱かせ希望を持たせます。国の窮地を救い人々に富をもたらすこともあります。まるで西遊記の孫悟空です。勧斗雲(きんとうん)にのって千里の空を滑空します。如意棒を自在に操って妖怪をなぎ倒します。三蔵法師の窮地を幾度も助けます。そのような特別の得難い力を持っています。だからこそでしょう。悟空には緊箍児(きんこじ)という悟空がとることのできない金の環が頭に設えてあります。悟空がよからぬ考えを持ち企みを仕掛けようとするとこの金の環が彼の頭をきつく縛ります。悟空はその痛みによって悪だくみを実行することができません。

 

憲法はこの金の環です。為政者の頭を縛る金の環。為政者がその優れた能力ゆえに陥る過ちを制限する何にも勝る縛りです。憲法改正条項を緩和しようとする改憲は悟空が金の環を緩めはずせるようにしてくれと言うようなもの。国民である三蔵法師に願い出る悟空の姿に重なります。力いっぱい存分に戦って悪い奴を懲らしめればより安全だ。諸国からお宝を集めればより豊かだ。決して道をはずしたりしない。信用して任せてほしい。そんなふうになだめすかしたり威したりしながら。

 

どのような国にあってもすべての人々がひとしく平和のうちに人生を全うできるようにしよう。他国の利益を無視して自国の利益を求めないことにしよう。人間のためになる国づくりをしよう。世界の恒久平和を達成するために他国の公正と信義を信頼しよう。このような考え方は今始まったものではありません。人類が社会を作り政治を始めたときから続いています。ブッタやキリストの教えを含むあらゆる宗教の原点にさかのぼることもできます。ときに為政者の暴走によって破られ悲惨な戦争へと向かいました。人類はそのたび繰り返す過ちを反省していくつかの安全装置を作りました。日本国憲法の示す理念や目的がそのひとつです。

 

多数決は公正のためのひとつの道具でしょうか。だからといって必ずしも多数が正義ではありません。ながらく多数が不正義であった歴史があります。人間の自由や権利の中には多数によっても侵すことができないものがあります。憲法改正条項が単純な多数決を排しより高いハードルを設けました。それはこのことを聖域として認めたからだと思います。私は理想や目的とともに改正条項もまた変更することのできない規定だと考えます。

 


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