参議院選挙の争点

選挙の投票率が下がり続けています。このことは前に政権交代でも触れました。参議院選挙でいうとこの20年投票率が60%を超えることはありませんでした。今年は50%を切るおそれさえあります。

その原因の一つは選挙の争点・論点の組み方に問題があるのではないでしょうか。

たとえば今回選挙の最大争点とされる「アベノミクス」。これがどのような争点なのか、どのような論点が含まれ、どのように評価できるのか、正直いってよくわかりません。

経済政策なんだろうなというくらいはわかります。経済政策である以上、その目標は国民生活を豊かにするものかどうかが問われます。しかし「アベノミクス」が私たち生活とどのような結びつきがあるのか。国民生活を豊かにする経済政策としてほんとうに適正なのか。それとも金持ちの金もうけの手段に過ぎないのか。対立する政策がどのようなもので、どこがどのように違っており、何を評点のポイントにしたらいいのか。

私にはさっぱり見えてこないのです。

むしろ選挙の争点となるようなものではなく、いわば野球のつり球、空振りを誘う高めのスピードボールのような感じを受けます。少なくとも選挙の争点として十分にこなれている。ストライクゾーンにはいってきているとは思えません。

逆に震災復興については総論賛成の花盛りです。しかし復興政策が明確な形で争点化されているとは思えません。震災復興がうまくいっているのであれば争点化しないこともあるでしょう。しかし現実に復興は進まず痛みは増すばかりという事態が報告されています。

にもかかわらず政策として何が対立していて、どこに評点のポイントがあるのか不透明です。

原子力発電の問題、平和戦略、憲法改正など。いちおう争点化がなされています。

しかし、ここでも何が論点となり、どこをどのように評点したらうまく判断できるのか。つかみどころがありません。

このままでは選挙は政治課題についての選択ではなく、政治家や政党の人気投票になってしまいます。そのうえ政治家も政党も人気自体が落ちてきている。とすれば人気投票としてもきわめて低レベルのものになってしまいます。

選挙の争点は選挙民が決める。そのための下ごしらえを議院事務局、政党、政治専門家、メディアが担う。そのようなシステムが必要なのではないでしょうか。

選挙民が求める課題を吸い上げて、優劣の順を決めて、争点を構える。そのうえで争点ごと、判断可能な程度に論点や評点を整理して提案する。各政党、候補者はこのような争点・論点整理にもとづいて、みずからの政策や意見を明らかにする。

そうであってこそ、国民が決める、国民が選ぶ選挙としてふさわしいものになるのではないでしょうか。

国民が求める争点を外し、投票を呼び掛けても投票率が上がるわけがないでしょう。

震災復興、原発政策、平和への戦略、憲法改正、国民生活の豊かさをものさしにした経済政策が争点にならず、経済政策としての位置づけも評価もあいまいで、判断可能な材料を提供できない「アベノミクス」を選挙の最大争点にする。

その危うさを感じます。そこに透けて見える民主主義の質の低下もまた憂慮します。

このようなことは今始まったことではないでしょう。敗戦後私たちの国に民主主義がもたらされ、喜びをもって迎え入れた後の半世紀以上の長きにわたって、民主主義の質を管理し向上させてこなかったことに要因を求めることができるでしょう。

責任はもちろん、統治機構の一翼を担う司法に籍をおき憲法、法律の専門職である私たち弁護士にもあります。民主主義の支え方や育て方を広くやさしく分かりやすく伝えきれなかった、不十分さにあると自省します。

今回は選挙における、争点の作りかた、選ぶために必要な論点整理の重要性、判断するために不可欠な情報提供のありかたについて述べました。


関連記事