「家栽の人」から君への遺言
彼は1989年9月に福岡市で発生した公立中学校教師による生徒への暴行事件を取材していた。
いったん休止していた人気漫画「家栽の人」をもう一度書くために。
僕は国賠訴訟を担当した。
そこで知り合ってもう25年になる。
その後、ハンセン訴訟について彼のインタビューをうけたり、佐世保大久保小学校の事件で意見をもらったり、「家栽の人」の盗作を放映したテレビ会社と交渉したり。
その折々に酒を酌み交すことがあった。
一昨年の今ころ別のことで連絡を取った。
ついでにライブに誘った。
「年1回だけのライブだけどやってみる」
「僕CDもう何枚も作ってるんですよ。時間があえばでて(あげて)もいいですよ」
「じゃあ、近くなったら連絡する」
でCDが2枚送ってきた。
彼は昨年の6月にいきなり余命を宣告された。
一緒にやろうといって合同練習していたライブを1か月後に控えていた。
「やれるかどうかわかりません。もう予定しないでください。迷惑かけるといけませんから」
「わかった。これたら一緒にやろう」
体調を整えて彼はライブ当日やってきた。
バナナを頬ばりながらライブをやり終えた。
最後のほうでカポを間違えて不協和音だしたけど。
1週間後に佐世保の事件が発生した。
彼は佐世保に生まれて育った。
かの地で奪われた命と奪った命に心を痛めた。
2度目も。
余命宣告を受け佐世保の事件を想い「遺言」として書いた。
書かずにはいられなかった。
調子のいい時も悪い時も。
今年7月のライブに声をかけた。
顔を見せなかった。
唄はうたえるけど。
痩せた姿を見てみんなが心配するといけないから。
相談があるようだったし出版のことも気になった。
調子はいいという。
9月に山登りの途中だからといって国東に見舞った。
すこしスリムになっていた。
にっこり笑って帽子をぬぎ抗がん剤で脱毛したつるつるてんの頭をみせて言った。
「やひろさんとおなじになっちゃいました」
「バカ言うな。オレのはまだある。ほらもやもやっとだけど」
その書き下ろしの本がやっと出ました。
彼が命を削りながら書きました。
ぜひともお手に取り、お読みください。